作品展のプログラム解説、再び学生たちの作曲作品の紹介を続けます。
我妻英作品「Harmoniphobia」
我妻英(すぐる)くんは、小学校4年生の時、ピアノの冨樫先生のご紹介で私のところに作曲を習いに来ました。彼がその時持参したのは、12段のリング綴じの五線ノートに書かれた交響曲!すでにClarinetはin B、Hornもin Fで書かれていたので、彼が書いたものを誰も読めないという状態でした。そんなわけで他にもいろいろな筋から相談があり、作曲のレッスンが始まったのでした。
小学校5年生のときには山形交響楽団スクールコンサートで、英くんの「交響曲第4番 第4楽章」を演奏していただきました。指揮は大井剛史さんで、実に実に細かいところまでご指導をいただきましたっけ。大井さんには今でもとても感謝しています。
英くんのレッスンでは作曲や和声、いろんなことをやりましたが、結局私が彼にできたことはあったのか今でも疑問に思います。すくすく伸びてゆく彼の邪魔をしないことだけ気をつけましたが…。
今回の作品の題名“Harmoniphobia”は「調和恐怖症」を意味する彼の造語だそうです。
我妻英作品「Harmoniphobia」
我妻英(すぐる)くんは、小学校4年生の時、ピアノの冨樫先生のご紹介で私のところに作曲を習いに来ました。彼がその時持参したのは、12段のリング綴じの五線ノートに書かれた交響曲!すでにClarinetはin B、Hornもin Fで書かれていたので、彼が書いたものを誰も読めないという状態でした。そんなわけで他にもいろいろな筋から相談があり、作曲のレッスンが始まったのでした。
小学校5年生のときには山形交響楽団スクールコンサートで、英くんの「交響曲第4番 第4楽章」を演奏していただきました。指揮は大井剛史さんで、実に実に細かいところまでご指導をいただきましたっけ。大井さんには今でもとても感謝しています。
英くんのレッスンでは作曲や和声、いろんなことをやりましたが、結局私が彼にできたことはあったのか今でも疑問に思います。すくすく伸びてゆく彼の邪魔をしないことだけ気をつけましたが…。
今回の作品の題名“Harmoniphobia”は「調和恐怖症」を意味する彼の造語だそうです。
作品解説から一部抜粋させていただきましょう。
「(前略)この作品に於いてClarinetとViolinは互いにあらゆる調和の状態を生理的に忌避し拒絶する。しかし、両者はひたすら不協和な関係を目指すという形容も適切ではない。何故なら不協和な状態も、広い意味での一種の調和の形態に他ならないからである。
したがって、二つの楽器は絶対的非調和というそもそも矛盾した命題を志向し、今まさに生まれゆく音楽を創造すると同時に全否定していく。…」
調和しないことが
「(前略)この作品に於いてClarinetとViolinは互いにあらゆる調和の状態を生理的に忌避し拒絶する。しかし、両者はひたすら不協和な関係を目指すという形容も適切ではない。何故なら不協和な状態も、広い意味での一種の調和の形態に他ならないからである。
したがって、二つの楽器は絶対的非調和というそもそも矛盾した命題を志向し、今まさに生まれゆく音楽を創造すると同時に全否定していく。…」
譜面のご紹介に参りましょう。
冒頭部分はこんな感じに。
調和しないことが
この後どうなるかは、当日の演奏をお楽しみに。
これは音楽というよりも「魂の叫び」です。
作品は、作り手の生き様そのものです。私は私の考えがあって調性音楽を書いていますが、英くんは英くんの考えで、これまで真剣に生きてきたことそのものを音楽という手段を用いて私たちに見せてくれます。血の滲むような…という言葉がありますが、まさにそのような切り口を持った音楽です。
作品は、作り手の生き様そのものです。私は私の考えがあって調性音楽を書いていますが、英くんは英くんの考えで、これまで真剣に生きてきたことそのものを音楽という手段を用いて私たちに見せてくれます。血の滲むような…という言葉がありますが、まさにそのような切り口を持った音楽です。