仏は常にいませども
現ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に
ほのかに夢に見えたまふ

遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけむ
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ動がるれ

    (梁塵秘抄より)

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今より生きるのがずっと大変だった時代、
人々の想いを身近に感じられる
歌の二編です。


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(口語訳の一つとして…)

常にいるという仏に会いたいが
現世では会えず深く悲しい。
夜を徹した祈りが届き、明け方の
夢の中でほのかにお会いできた。

このように遊女として戯れるため
私は生まれてきたのだろうか?
無心な子どもの声を聞くと
我が身の境遇や来し方が顧みられ
悔恨とともに身が震える。

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解釈はいろいろあるのですが
私はこれが腑に落ちますね。
平安末期、千年も前の歌ですが、
ひたひたと迫り来る「何か」があります。

音楽を書くのに必要なのは
理論や技術を通り越した向こうにある、
こんな心にしみてくる「何か」なのです。

一日中書き物をしていて
意識が朦朧としてきたところで
ふっと思い浮かんだこの歌の口語訳を
まとめるうちに涙ぐんでしまいました。
トシかな。

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